プロフィール
個人的なお話ばかりのページです。読むメリットがあるかはわかりませんが、もし誰かの何かのヒントになるようなことがあれば・・・!
ご興味のある方はどうぞ。
はじめましてのごあいさつ
- 名前:いろめだか
- 職業:福祉関係(いつまでかは未定)
- 生まれた年:1994年
- 住んでいるところ:田舎の田んぼの真ん中
- 性別のこと:女性。恋愛対象も女性
(性的な惹かれは誰に対しても感じられない) - 性格:内向的。心の中はとてもおしゃべり
- たからもの:ひとりの時間とひとりの友人
- 趣味:お絵描き・映画や絵の鑑賞・音楽・めだか・空想
- 苦手:大きな集団・密集空間・大声・乱れなく整いすぎているもの
- 好き:小説・こたつ・トマトの葉の香り・5月の晴れた朝の香り
- 特徴:のっぽ・マイペース
- 好きな言葉:「人と違った考えを持つことは一向にかまわないさ。でも、その考えを無理やり他の人に押し付けてはいけないなあ。その人にはその人なりの考えがあるからね。」~スナフキン~
こんにちは。いろめだかです。
仕事に行って帰り、悶々と考え込み、また朝を迎えるだけの生活に嫌気がさして、このブログをはじめてみようと思いました。
打ち込める趣味は多いほうですが、考え込んでしまう時間もそれ以上に多く、気持ちの整理が常に必要な人間です。
他者に向けて、文章としてまとめていくことは良いアウトプットなると思い、立ち上げました。
社会のあたりまえにちょっと適応しづらく、いつも置いて行かれている気分ですが、そんな私だからこそ書ける文章があるのかもしれないと思いました。
ど田舎に住む性的マイノリティで、とっても気にしいな人間が、ゆっくり、たまに引きこもったり休憩したりしながら記事を書いていきます。
読んでくださる人に、「焦らなくてもいいんだ」「無理して取り繕わなくてもいいんだ」と、安心感を持っていただけるような文章を書くことを心がけます。
よろしくお願いします。
幼少期~高校生のいろめだか
幼少期・保育園時代~小さいころから集団が苦手だった~
※写真はイメージです
私の一番古い記憶は、おそらく2歳くらいの時の、お風呂場の映像です。両手から溢れそうなくらいの石鹸の泡と、キラキラ揺れている浴槽の水面を鮮明に思い出すことができます。暖かくて、この上ない大きな安心感に包まれている、とても幸せな時間だったのだと思います。
保育園に通い始めてから以降は、怖かったこと、苦しかったこと、辛かったことの記憶がほとんどです。
整列し、先生の言うことを聞き、みんな一緒に歌ったり遊んだりする、それだけのことなのに、常に不安が付きまとっているような感覚だったのを覚えています。
一人でゆっくり絵本を読んでいれば、先生とお友達が私を「みんなの輪」に入れようとしてくる・・・。地面の小石を集めて遊んでいても、鬼ごっこやかくれんぼをする子たちと一緒に同じ遊びをする羽目になる・・・。そんなことが、私には不安要素になってしまっていました。
友達と遊ぶのは嫌いではなかったのですが、少し怖くて少しうっとおしいと感じていました。
周りの多くの子は、キャッキャと元気に、人とのかかわりを楽しむことができる。それなのに自分は、そんな元気で陽気でハイテンションな仲間たちを「うるさい」なんて思って、どこか冷めた目で見ていました。
周りの人たちがまぶしい光を発しながら、エネルギッシュに、ハイスピードで先に進んでいく中で、私は突っ立っているだけの感覚でした。突っ立っているだけでも、そこに面白い形の雲を見つけたり、シロツメクサの香りを見つけたり、地面にだれかの落とした紙屑を見つけたり、それなりに発見があってワクワクできたのです。
自由遊びの時間は、輪に入りながらも一人を過ごすことができていたのでそれほどの支障はありませんでしたが、苦しかったのはみんなで活動する時間でした。特に、発表会の練習。
年長の時、発表会で合奏を披露することになり、私にはキーボードパートが割り当てられます。
音楽自体は大好きだったのですが、練習の時の先生の大きな指導の声、ミスをした友達が叱られること、ズレズレになって崩れてしまうメロディー、張り詰めた空気感など、耐えられないことが多すぎました。
登園拒否で両親や祖父母に多大な迷惑をかけたのち、最終手段として、私ひとり合奏練習の時間は赤ちゃん組に行き、練習に参加しないことになりました。
この時あたりからすでに、「指揮官がいて緊張感のある集団」のことが嫌いだったようです。
小学生時代~周囲の期待を察して動くが、ほんとはゆっくりしたい~
小学生時代は、それなりに1人2人仲のいい友達もでき、図書館という、うるさいのを避けるための絶好の逃げ場を発見し、無難にとはいかないまでも、なんとか6年間通いました。
私はいわゆる「優等生タイプ」で、「勉強ができてどんなお友達にも優しい」といういい子ちゃんポジションの上で、踏ん張って立っていました。
当時は忘れ物をすることをこの世の終わりのように恐れ、宿題は求められた以上にしてくることが普通で、のけ者にされてる子がいれば無条件にその子のペアになり、授業の前は先生の手伝いをする。
もちろんそこまでする必要はなかったことばかりです。ただ、周りの期待(特に先生たちの期待)を裏切るのが怖かった、それだけです。
この先生はどうしてほしいと思っている、こんな場面ではこういうことを期待している、そんなことばかり考えていました。
また、私の両親は私に「勉強しろ」なんて一言も言わずに育ててくれたのですが、私はというと姉を見習わなければならないと必死でした。姉のように優秀(姉は2つ年上でお勉強できる人でした)でなければ、親の期待を裏切ることになると感じていたのです。
友達の「こうしてほしい」にも敏感になっていました。いつでも貸せるように筆箱の中身を常に充実させたり、仲間割れして一人になった子の話を聞きに行ったり、友達との人間関係の中では自然とそういうポジションになっていき、それがまた周りの期待となっていることを感じていました。
小学生はグループを作り行動するもの。そんな常識にしっかりと巻き込まれ、無事グループ内でのポジションを確立することには成功できたのですが、やはり私の一番ほっとする時間は「ひとり時間」。そして、静かな友人と静かに図書館で過ごす時間でした。
周りの友達を見て「元気だなあ」だとか「ペースが速いな」とか感じるのは、保育園時代から相変わらずでした。せわしなく駆け巡っていく時間を、どこか上の空で眺めているような感覚といえば伝わるでしょうか。
グループに属して、誰かと同じペースで歩かなきゃいけないというのは、私にとっては早送りの映画を見せられているような気持ちになることでした。
ゆっくり見せてよ!
さっきの言葉についてもっと考えさせてよ!
見落としがないか確認させてよ!
気持ちを整理させて!
魅力的な場面をもっと味わいたいよ!
一時停止してくれ~~~!!・・・と、こんな感じです。
日常ってなんか疲れるな~、と感じ始めたのは、そんな感覚が常にあることを自覚してしまったからかもしれません。
中学生時代~いじめのある空気が辛い。恋愛話にはついていけない~
さて中学生に上がると、やんちゃなグループの子たちは先生に反抗を始めます。それに対し先生は教室で大声で怒鳴り、威圧的にふるまいます。大声が大嫌いな私は教室にいるのが苦痛になり始めました。
加えて当然のようにいじめがあります。中学生のいじめは想像以上に陰湿でした。小学生のころよりも同級生が怖くなっていた私は、もちろん止めるなんてことはできません。いじめのある空気感と傍観者の自分への罪悪感とで具合が悪くなり、給食を食べるのが苦痛になり始めました。
さらにもう一つ、わたしには脅威がありました。それは、女子数人で集まってする恋愛話です。
キラキラ青春の入り口に立ち始めた女子たちは、あの先輩がカッコいい、何組の○○くんが好き、そういった話を昼休みにするのが本当に楽しそうで輝いていたのを覚えています。
対して私はというと、この頃あたりから少し、自分の恋愛傾向が他と違いそうだとすでに感じていました。
男子に対してはトキメキめいたものを感じることはまるで微塵もなく、女子に対してはそれがあったのです。
トキメキや心のざわつきを伴う複雑な感情を、同性に対して抱いてしまう自分が、どうしようもなく気持ち悪い醜い生き物のように思え、恋愛話の類とは距離を置き始めます。
先生の大声、いじめのある教室の空気感、自分への気持ち悪さ。
受け止めきれないことが重なり、ご飯を食べられない、自傷を始める、そんなこんなで中学時代は精神的に一番不安定な時期でした。
一定期間学校を休み、カウンセリングも受けたのですが、特に自分のセクシュアリティについては誰にも話せず(知られたくなく)、カウンセリングの先生と話すことですら嫌になって辞めてしまいました。
通学を再開してからも、教室が苦痛なのは変わらず、昼休みはすべて学習室(特別支援学級)で過ごしました。
高校生時代~障害のある友人たちと過ごし、人間の個性を知る~
高校は福祉関係に進学し、せっかくならちゃんと福祉を知りたいと、アルバイトは「障がいのある子どもたちの余暇活動のお手伝い」をはじめます。
子どもたちとは言っても、年の近い(中学生や高校生)子どもたちばかりで、もうアルバイトというよりは友達同士で遊ぶだけの感覚のアルバイトでした。
そこそこ楽しく、そこそこみんな個性的で面白く、みんなと過ごすうちに自分のことが気持ち悪いと思う感覚も次第に薄れていきます。
私は「変わってる」かもしれないけれど、それは別に否定されることではないんだな。
初めてそう思うことができた場所でした。
高校では相変わらず取り繕いながら生きのびました。
しかしアルバイト先では、普通を押し付けられている感じがなくとても息がしやすかったので、ありのままの自分で過ごすことができました。
高校で辛くてもアルバイトで癒される、そうやってバランスをとりながら、高校時代を過ごしました。あの頃のアルバイト先には本当に感謝しています。
大学生~社会人のいろめだか~
大学時代~マイペースに福祉を学び、セクシュアルについて調べる日々~
高校卒業後、福祉関係の大学に進学し、日本の福祉についてそれなりに興味を持って学びました。
勉強の内容も関心のあることが多かったため、あまり負担にはなりませんでした。
大学のいいところは、興味のある講義を選べるところ、そして群れなくてもそれまでの学校生活とは違ってそんなに目立たないところです。
大学ではひとり行動もしやすいので、好きな座席で講義を受け、図書館でくつろぎ、友達と話したい時は食堂へ行く、というように、マイペースで行動できたので、それまでよりかなりストレスフリーでした。
また、大学内で同性の恋人ができ、大学生活は、学校生活としては過去一濃いものとなったのです。
当時、LGBTQ+という言葉と出会い、そこから自分のセクシュアリティは何なのだろうと模索するようになりました。
自分のセクシュアルについて「同性に惹かれやすい」という部分だけを知っていた私は、当時は自分のことを「女性同性愛者」(レズビアン)なのだと思っていました。
(そうではないと知るのはもう少し後の話です)
恋人との関係に悩んだりときめいたりしながら、自分の正体について探りたく、関連の本をたくさん読んでいました。
その延長線上、卒業論文は『セクシュアルマイノリティの人権問題』について書きました。
卒論の話をすると、両親からはその時少しだけ『??』な目を向けられましたが、その時は気づかないふりを通しました。自分のセクシャルについては言わないほうが良い。直感的にそう感じたのです。
社会人~再び「なじめなさ」と「恋愛感情の違和感」をひどく感じる~
卒業後、障害者支援施設に勤務を始めますが、たったの2週間で退職しました。すぐに次の職場で働き始めるも次は1カ月で辞め、その次はアルバイトで3週間、そのまた次は5カ月で退職・・・。
薄々と気づいていました。私は社会不適応だったのです。
入社と退職を繰り返し、自信も元気も失っていくと同時に、自分が苦手なものもはっきりと分かってきました。
規模の大きすぎる集団。同じ服を着た集団。指揮管理が力づくで乱暴であること。威圧感のある上司。きちんと整いすぎている不自然なもの。
「社会人として」という言葉にアレルギーが出始め(笑)、それでも、働いていないと人間として価値がなくなってしまうと思ってしまい、仕事に行っては憂鬱を抱えて帰ってくる日々を過ごしました。
しばらくすると大学時代からの同性の恋人とルームシェアをするようになりますが、そこでまた自分のセクシュアリティについて躓きを覚えます。
恋人に対し、ときめいたり切なくなったり複雑な痛みを感じたりという、友情や家族愛とは明らかに違う「恋愛感情」を抱いているのにも関わらず、世間で「性欲(?)」と呼ばれる類の欲を全く感じられません。
過度なスキンシップの意味がよく分からないのです。
(恋人とはそれが原因で別れました。今でも気兼ねなく仲良くできる関係です。関係に名称をつけるなら、恋人でも親友でも家族でもなく、「大切な宝物さん」でしょうか。)
アセクシャルやノンセクシャルといった言葉を知り、またひどく考え込む時期に突入しました。
社会の集団へのなじめなさ、そして少数派の抱える悩みについて悩みを膨らませて過ごしました。これからどう生きのびていけばいいのかと、対策を考えるようになります。
ちょっと前と、現在と、これからの未来について
ちょっと前の話~苦しみを減らすためのマイルール~
大きな集団が苦手で、多くの人の当たり前とは違う恋愛感情を持っていて、周りの人のペースがだいたい早送り映像に見えてしまう・・・。
これは生きづらさ回避の作戦を練らないと途中で息絶えるぞ!と、恐怖めいたものを感じた私は、途中で息絶えないための生き方を考え始めました。
そして今(2023年春)より、いくつか季節をさかのぼったあたりの頃。
自分の中でのルールを作りました。
苦しさが続くにしても、その苦しみを減らすための手立てがほしかったのです。
①大きな集団には属さない。職場も小さいところを選ぶ
②その中で働くのは週に4日くらい。ハードな働き方をしない。
③家賃削減。世間でよく言われる「実家を出てこそ一人前」理論を当分は無視する。(今の私には都合が悪い)
④「結婚して家庭を持ってなんぼ」の価値観とは距離を置く(否定はしないで)
⑤兄弟や親せきの恩恵を受けながら、線引きもしておく。
⑥「その生き方じゃ不幸になるよ」という助言は、うのみにはせず参考程度にしておく。
⑦この生き方でも安心して楽しめる方法を真剣に考える。
⑧カミングアウトは相手を本気で見極めてから。
⑨生き方には正解がない。自分も他者も、正解であり間違いであると考える。
⑩このルールは状況によって変更可能。マイルールにも縛られすぎない。
わりと自分に都合のいいマイルール(笑)がこんな感じです。
他人の価値観と自分の価値観、所属する集団の価値観など、どれも否定せずに生きていける人が増えたら、この星って平和だな~と感じられるようになると思います。
だからまずは自分からです。
まずは自分の中にある価値観を否定せずにいられるようになり、次は他人の違った価値観も否定せず見れるようになり・・・
そうやっていろいろな価値観を、何億色のカラフルな色鉛筆を眺めるような愉快な感じで見れるようになりたいです。
現在~前より少し息がしやすい毎日~
現在私は、とても小規模の、障害のある人のための事業所で、週に4日(+3時間)勤務しています。
加えて週に1日の半日は、学校に行かない選択をしてる子供たちのためのこぢんまりとした「居場所」に遊びに行き、羽を伸ばします。
そして土日は趣味活動、あるいは友人が住んでいる場所に遊びに行く日々です。
収入はもちろんかなり少なく、底辺の底辺ではあると思いますが、ひとり暮らしの高齢祖母の家に借り暮らし(仮ぐらし?)しているおかげで生きていられます。
この暮らしの日々がめちゃくちゃ快適かといえば、そうではないです。
無理なく働ける仕事ペースではあるにしても、小さい集団内での人間関係に疲れることはあるし、価値観の合わない上司とすり合わせしながら働くのもまあまあしんどいです。
祖母との暮らしも、お金面で助かっている反面、田舎高齢者あるあるの「結婚まだね?子供つくらんと不幸よ」発言には頭を抱える場面も多いです。
それでも、マイルール10か条が、だんだんと私の中で確実な柱として存在感を濃くしてきているおかげで、以前よりは苦しいと感じることは減ってきました。
未来~もっともっと生きやすくなっていきたい~
今の暮らしにものすごく大きな不満というものははありません。
ただし、この暮らしがずっと続くとも思っていませんし、今の暮らしというものははいつだって「仮の姿」であるとも思っています。
今後、仕事が続けられないくらい人が苦手になるかもしれない。今後、家族が減っていき一人になるかもしれない。今後、大切な宝物さんにも新たな家族ができるかもしれない。
今というものはだんだんと変化し続けます。
だからこそ、未来には不安も感じながら期待もしています。
未来はもっともっと生きやすくなっていたいです。そのために、できることをゆっくり、前向きにやっていきたいと思います。
自分のHSP気質との付き合い方を勉強し、このセクシュアリティでも他者と前向きに関わる方法を模索し、何か生活に不具合が生じたら柔軟に対処していく・・・。
安心して楽しく生きるために、できることはたくさんありそうです。
もっともっと生きやすくなりたい。
自然体でいられる人を増やしたい。
色鮮やかだったりくすんでいたりするカラフルなこの世界を、マイペースに楽しみ味わい尽くしたい。
それが私の未来の目標です。